或る夜のはなし
熱帯夜が続いていた夏に、2日間の土日だけからっと乾いた涼しい夜がやってきた。
日中から過ごしやすい気候で、いわゆるお出かけ日和だったその日は、気温はそのままに夜になっていた。
土日ともなれば夜更かしが定番となる。案の定、日中出かけたにもかかわらず、深夜までパソコンで映画を観尽くした私が一息ついて風呂から上がった時には時計の針が一時半を指していた。
平日に勤めに出ている時とは違って、深夜でも眠くならない。明日は日曜日だし朝寝坊できるという余裕があるからかもしれない。
いつもなら、観尽くした映画をさらに見たり、ネットサーフィンをしたりと夜更かしを継続させていたはずだが、今夜は外が涼しいということもあり、散歩にでも出かけてみようかという気になった。
深夜の一時半というあまりにも遅い時間は、社会人になりたてのやっと独り立ちした私にとって、見知らぬ世界への入り口に過ぎなかったこともあり、何のためらいもなく、私の足を夜の町へと動かしたのである。
住んでいるところは、東京の夜景がはるか彼方に見える海を挟んだ田舎町。東京から電車に揺られて2時間弱かかる近郊である。
それゆえに、深夜ともなれば街灯がぽつぽつ点いているだけで人っ子一人いない。裏道が通っているこの地域は車通りもない。なおさら静かなのである。
特に目的もなく田舎道を歩いた。ポケットには途中でジュースでも買おうと思って財布と一応スマホを入れてきた。
夜道を小一時間ほど歩くと、通りに面して煌々と明かりが見えた。それは結構な規模の公園だった。
道を逸れて中に入ってみると、それまで歩いてきた夜道にあった街灯とは比べ物にならないほどの大きさと明るさの街灯が、その下のベンチと水の止まった噴水を照らしていた。
なかなかいい雰囲気の公園だと思った私は、そのベンチに座ってみた。いや、引き寄せられた感覚があった。
明かりに照らされたそのベンチは、なにか特等席のような空気を醸し出していた。
ここはなんという公園なのだろうと思い、スマホを取り出して調べてみた。
しかし、検索しても出てこない。
住んでいる地名と「公園」というキーワードを組み合わせてもヒットしない。
さては、小一時間ほど歩いてきたので遠方まで来てしまったのか。平坦な道をこれだけの時間歩いていたから、思ったより遠くまで来てしまったのかもしれない。
今、自分がいる場所さえも分からないので、スマホの位置情報をオンへ設定しようとした。しかし、オンにならない。すぐにオフの表示に戻ってしまう。もう一度やってもさらにやっても結果は同じだった。
今いる場所がわからない以上、これ以上先へは行かず、来た道を折り返すほか選択肢はない。住み慣れていない土地で、しかもこんな夜更けに出歩いていること自体、危なっかしい。
あきらめて、スマホから目線を上げると人影がこちらに向かってきているのが見えた。
「こんな時間に?」
もう一度スマホに目をやると時刻は2時半を示している。まさに草木も眠る丑三つ時の真っ只中である。
そのまま近づいてきて私の目の前に止まったその人影は、
「となりいいですか?」
と声をかけてきた。
不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、人が来てくれて安心した気持ちが強かった。
「どうぞ」
ショートカットで顔立ちがはっきりしているかわいい感じの女の子。年は自分と同じくらいだろうか。
深夜の公園の街灯の下のベンチで二人の男女が座っているという何とも奇妙な光景である。
女の子が声をかけてきた。
「お散歩ですか?」
「はい。」
「どちらから?」
「富士見台です。」
「遠いですね。」
「えぇ、まぁ。涼しくてちょっと歩きすぎました。あなたは?」
「私は近くです。ここ大山町です。」
聞いたこともない地名だった。
大山町。
調べてみようとスマホを取り出そうとしたらまた声がかかった。
「失礼ですがおいくつですか?」
「18歳、来週で19になります。」
「私も18で、来週で19になります。同い年ですね。」
「え、じゃあ誕生日いつですか?」
「29日です。」
「一緒だ!」
なんだ、同い年か。しかも同じ誕生日。ってこんな時間によく一人で歩いてきたものだと心配になった。いくら補導されない年齢とはいえ時間が時間だった。こんな時間に敬語も疲れたので提案した。
「タメでもいい?」
一瞬驚いた表情を見せた彼女は、すぐに笑顔になって
「うん、いいよ」
と返してくれた。
「こんな時間に一人で怖くない?」
「ううん。散歩に出た理由はあなたと一緒。涼しかったから。」
「親は心配するんじゃない?」
「大丈夫、一人暮らしだから。」
「そうか、僕と一緒だ。」
「そうなの?」
「今年からね。社会人になったばかりなんだ。」
それから、彼女とはいろんな話をした。社会人になって、自分が今いる会社での研修のこと。同僚のこと。ここでの暮らしのこと。
聞くと、彼女は、大学生らしい。地元の高校を首席で卒業したものの、センター試験当日に事故に遭い試験を受けられず、滑り止めで受けていた大学に進学することになり、この地に引っ越してきたという。
気づくと、空が明るくなってきた。夜明けが近づいているようだ。時刻は4時過ぎだった。
彼女が言った。
「そろそろ帰るね。実は今日、大学でテストがあるの。」
「え、じゃあすぐ戻って寝ないと。」
「大丈夫、午後からだから。ゆっくり昼まで寝るわ。」
「そうか。じゃあ、おやすみ。」
「バイバイ。」
手を振って彼女が走り出していった。その後姿が見えなくなってから、ベンチから立ち上がった僕は帰路についた。
来た道を戻るだけであったが、夜の道と明け方の道では道の表情が変わっていて、少し不思議な感覚にとらわれた。
帰宅してから、さっきの公園がどこなのか、大山町はどこにあるのか、パソコンで検索してみた。
「大山町 公園」
ヒットしない。全く違う東北地方の地名が出てきた。そもそも大山町ってどこ?
「千葉県 大山町」
一番上に、ある検索結果が出た。
『消えた大山町とその記録』
消えた?消えたということは今はもうないのか?混乱した。意味が分からない。
クリックしてみると簡素なホームページに三行の説明が表示された。
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大山町は、平成10年8月29日まで千葉県にあった地名。現在は新内川の氾濫を防ぐために建設された富士見ダムの底に沈んでいる。平成10年8月30日付で地名登録から外された。
当時の住民は18名(男性10名、女性8名)であったが、そのうち17名(男性10名、女性7名)が転出した。
なお、女性1名については現在も消息が分かっておらず、ダム建設前には一斉捜索が行われたが発見に至らなかったため、当時の地元役場は、先に引っ越したのだろうと結論付け、7日間続いた捜索は平成10年8月28日で打ち切られ、その後、大山町に人が立ち入ることはなかったとされている。
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大山町はもう無くて、ダムの底に沈んでいる。女性が一名行方不明。それしかわからない。
女性が一名行方不明が引っ掛かった。
あれ?もしかして・・・。
急いで外に駆け出した僕は明け方までいた公園を目指し走ったが、その姿は影も形もなくなっていて、その公園があったはずの、僕らが座っていたベンチを照らしていた、あの大きな街灯があったところには、もっと大きな鉄塔がそびえていた。
編集後記
何の生産性もない物語です。ただ、ひとつだけ。これはノンフィクションであることだけ記しておきます。深くは語りません。
或の日、或の夜、体験したことはもう二度と訪れないと思えるくらい新鮮でした。
おことわり
作中に登場する、人物名、地名、施設名、および固有名詞はすべて架空のものです。
この作品は筆者が体験の基にしたノンフィクションです。